DCF法における運転資本増減額

運転資本とは?

運転資本とは、「企業の経常的な事業活動を行う上で投下されている資金」を指し、事業を廻していくための資金のことです。
運転資本の基本的な計算式は「運転資本=営業債権+棚卸資産-営業債務」であり、

  • 短期的に現金化が予定されている債権
  • 現金が形を変えている棚卸資産
  • 短期的に現金支出が予定されている営業債務

により構成されます。

DCF法では貸借対照表のすべての各勘定科目を事業外資産・有利子負債等(有利子負債類似・同等物)・運転資本などに分類しますが、運転資本の範囲は、入手資料や各種前提条件等に応じて多少異なることがあります。

例えば、未払法人税等・未払/未収消費税・賞与引当金は、有利子負債等として取り扱われる場合もありますが、運転資本として取り扱われることもあり、注意が必要です。

運転資本とDCF法の企業価値評価における関係性

運転資本増減額は、DCF法で用いるFCF(フリー・キャッシュ・フロー)の主要な構成要素の1つです。

将来の運転資本が増加傾向にある場合には、事業に投下されている資金が増加傾向にあることを意味するため、将来FCFは減少します。運転資本が減少傾向にある場合には、事業に投下されている資金が減少傾向であるため、将来FCFを増加します。

一般的なFCFの構成項目と各項目で使用される設定方法・前提条件は、以下の通りです。

項目 各項目の数値の設定方法・前提条件
売上高、営業利益、設備投資額(CAPEX)、減価償却費 事業計画値
税引後営業利益(NOPLAT) 営業利益 x (1-実効税率)
運転資本増減額 運転資本残高の年度別増減額

運転資本増減額の計算方法

構成要素の抽出と計算方法

運転資本項目は貸借対照表の売上債権 / 債務・棚卸資産が中核ですが、「その他流動資産・負債」なども考慮します。

構成要素とFCF法における将来における運転資本残高の計算方法は以下の通りです(一般的な見解であるため、案件により異なる可能性はご了承ください)。

項目 計算方法 備考
 主要項目 ※カッコ内は推計対象の損益項目の例示です
売上債権 売上債権回転期間(対売上高)  
棚卸資産 棚卸資産回転期間(対売上原価)  
仕入債務 仕入債務回転期間(対売上原価)  
その他の項目 ※カッコ内は推計対象の損益項目の例示です
未収入金 未収入金回転期間(対売上高など)  
前払費用 / 前払金 各回転期間(対売上原価・販管費など)  
その他流動資産 その他流動資産回転期間(対売上高)  
未払金 / 未払費用 各回転期間(対売上原価・販管費など)  
その他流動負債 その他流動負債回転期間(対売上原価・販管費など)  
賞与引当金 引当金回転期間(対販管費・人件費など) 有利子負債等扱いの可能性あり
未払法人税 将来の税引前当期純損益や法人税等から推計 有利子負債等扱いの可能性あり

運転資本の各構成項目の内容に応じて、関連する損益計算書の収益 / 費用項目と連動するという前提条件の設定は、概ねご想像通りと思います。実務上は、評価対象企業の内容を踏まえ、運転資本の各構成要素と関連性の高い収益/費用を特定し、各回転期間から将来残高を推計します。

回転期間を決めるために、事業の状況に応じて直近1年度の回転期間とするか、過去数期平均とするかの判断も必要となります。

運転資本の将来残高検証

前節の計算ロジックにより算出される運転資本の将来残高について、以下の方法により検証を行う必要があります。

運転資本残高の著増減の有無把握

将来PLにおける事業別売上高・売上原価・販売費および一般管理費等の構成割合・利益率の変化は運転資本全体の回転期間に影響を及ぼします。

例えば、掛販売を基本とする企業の場合は、利益率の改善は運転資本残高を増加させる方向で働きますが、当該運転資本残高の増加が事業内容に照らして妥当であるか、計算根拠とした回転期間などにつき、運転資本残高の増減予測を確認する必要があります。

各運転資本の契約条件との比較

各運転資本の構成要素は、契約や法律による取り決めで決済条件や残高を決定づける要素が決まっている場合が多いです。

売上債権は取引先との決済条件が「末締・〇日払」のように、決まっています。決済条件に照らしたときに、末締・翌月末である場合には、回転日数は理論値の30日に対し、大きな乖離があると運転資本が適切に算出されていない可能性があります。

事業別損益

事業モデルにより販売・仕入条件は異なる場合があるため、各事業の規模次第では事業別に運転資本を算出する必要があります。

例えば、A事業では個人向けの取引(to C事業)を行っているがB事業では企業向け取引(to B事業)を行っている場合には、現金販売や掛け販売等の違いが出てくる場合があります。この場合には、将来の運転資本残高を全社売上と連動させることは好ましくなく、事業別に将来運転資本を算出することが合理的な計算のために必要となる可能性があります。

取引先別取引高

取引先によって決済条件が異なる場合もあります。決済条件を一律にすることができればそれに越したことはありませんが、決済条件は資金繰りに直接影響する項目であり、各社の交渉材料(自社優位としたい)になります。

特に大企業が相手だと決済条件は先方優位になる場合も多く、他の取引先で一律に適用している決済条件があったとしてもズレてしまう場合があります。

M&Aでは財務DD等を通じて、運転資本の取引先別残高(上位10社程度等)が分析され、取引条件などの傾向が分析されていることもあります。

運転資本の論点

やや古典的な論点になりますが、以下の2点は主要な論点と認識しています。

  • 必要運転資金

増収が見込まれている際に、「必要運転資金」も将来に向けて売上などと連動して増加させる実務が一定程度存在すると認識しています。

この考え方を採用すると、将来の現預金残高や将来の営業CFと将来のFCFの実額が相違することになります。増収傾向は売掛金・棚卸資産・買掛金などの主要な運転資本項目を用いた増減を通してFCFに反映されています。更に「必要運転資金」まで増加させてしまうと、FCFに含まれる運転資本増加額が二重またはその分だけ過大に見積もられてしまうと考えています。

企業の実際の資金繰りや、金融機関での増加運転資本に対する融資を担当した方からすると、受け入れ易いと思います。

 

  • 退職給付に係る債務

退職給付に係る債務を企業価値から減額することについては、近年のM&Aに係る企業価値評価ではごく一般的な扱いと認識しています。しかし、古くからこの扱いには議論がありました。本来は、退職金の将来の支払予定タイミングでキャッシュアウトを見込むことが適切であるなどです(実務上は困難ですが)。

ただ、将来キャッシュアウトが見込まれる退職金の現在価値と見做して、企業価値の減額要因としての扱いは、価格交渉との平仄も取れており、近年では有利子負債等の扱いで問題無い様相です。

まとめ

本項ではDCF法における将来運転資本残高の計算方法を通じて運転資本増減額の算出方法を解説しました。

案件によって、運転資本の範囲や計算方法が多少異なることもあるため、各項目がどの損益計算書項目と連動するかを検討した上で、回転期間を基に、将来残高を推計します。

運転資本増減額(ひいては、将来運転資本残高の見積もり・推計)は、将来FCF・企業価値に多大な影響を与えることもあります。単純計算・単純な確認のみに終わらず、将来FCFに占める運転資本増減額の重要性に応じて、その内容を検討・確認すべきと考えます。

また、買い手企業にとって、対象会社の運転資金の将来の過不足情報は、将来の資金調達の必要性などを検討する際の材料にもなり得ます。

本記事が、M&Aディールに関する関係各者の理解や共通認識に少しでも役立てば幸いです。